今日も寒い中歩く練習 ((´д`)) ぶるぶる・・・. [入院]
お母さんが築地の脳神経外科に短期入院。
今回は頭に転移した腫瘍を放射線の一種(?)である
ガンマ線でやっつける。
お父さんが付き添いしてくれたから私は久しぶりのフリータイム☆
でも入院する日は手続きするから、ということでくっついて行った。
そしたら、
頭に器具が刺さったままの人と遭遇。
一瞬にして空気が凍る。
明日はお母さんもあの状態になるのかな。
もう感覚が麻痺してて、怖いとか感じなかった。
退院してから聞いた話では、器具をさした後、その状態で朝食を
とったと。食べようとすると顔面にある器具に当たって食べにくい
らしい。治療してる間も意識はあるらしく音楽聴いて過ごすって。
何はともあれ、無事終わって一安心。
頭にバンソウコウが張ってあるだけで、前と変わらずちゃんと食欲もある
よかった! (≧▽≦)☆
今回は頭に転移した腫瘍を放射線の一種(?)である
ガンマ線でやっつける。
お父さんが付き添いしてくれたから私は久しぶりのフリータイム☆
でも入院する日は手続きするから、ということでくっついて行った。
そしたら、
頭に器具が刺さったままの人と遭遇。
一瞬にして空気が凍る。
明日はお母さんもあの状態になるのかな。
もう感覚が麻痺してて、怖いとか感じなかった。
退院してから聞いた話では、器具をさした後、その状態で朝食を
とったと。食べようとすると顔面にある器具に当たって食べにくい
らしい。治療してる間も意識はあるらしく音楽聴いて過ごすって。
何はともあれ、無事終わって一安心。
頭にバンソウコウが張ってあるだけで、前と変わらずちゃんと食欲もある
よかった! (≧▽≦)☆
イレッサ [入院]
イレッサはドラッグラグが問題となっている日本でも、日本が世界に先駆けて
承認したガン分子標的治療薬です。人間に処方され始めたころは副作用で
亡くなる人も多く、いまだに薬害訴訟が続いています。
そんな怖い、でも効けば効果的、な薬を飲み始めたころは心配で常に
病室に神経がピーンと張られている感じでした。医者もちょくちょく様子を
見に来てくれました。
総回診シーン [入院]
昔白い巨塔というドラマがありました。
その中で偉い医者先生が部下の医者を引き連れて
回診するシーンがあります。
病院では同じことがほんとうに行われています。
アナウンスで「○○先生の総回診が行われます。○○科の患者さんは
ベッドにいてください」と流れるのでベッドにいなくちゃいけません。
実際毎日様子を見てくれる医師がその科の責任者である医師に
今どんな患者がいてどんな治療をしているかを報告する、という
目的のようでしたが、すごい迫力でした。
忙しいのですね、ぞろぞろ大勢の医師が母の病室に入って
(全員は入らないので一部は外で待機)母を診察。
その直前にはオムツしていたからほんと危機一髪!
あんな大勢に御開帳しちゃったら立ち直れないところだったわスカトロデビュー [入院]
ベッドに寝たきりになってから家族で糞尿の話題は日常となりました。
手術した後に飲んだ薬の副作用だったかな、母はひどい便秘になり
しばらく看護婦さんに施してもらう浣腸に頼る日々。
術後1週間ちょっとで自力で便器にてできたときは嬉しくて。
こらえきれずに遠方で単身赴任している父に電話しました。
「お父さん出たよ!」
それでも夜中は、車椅子に乗って移動するのは危ないので
尿瓶(シビン)でとってあげる生活が1ヶ月ちょっと続きました。
男と違って女性のシビンは難しいそうです。
看護婦さんもうまくない。
はじめはうまくいかず引っ掛けられ、朝病院のコインランドリーが
開くと同時に洗濯機まわしていました。
コツは瓶にうまくオシッコを誘導すること。
今は失敗しません、ノーベル賞ものです。
夜中に瓶でとったものは看護婦さんに始末をお願いしていました。
ナースコールして、誰かしらが来るのですが、なぜか私がオシッコを
渡すと「ありがとうございます」と言う人がいたので、その看護婦は
スカトロさんと名づけられました。
手術した後に飲んだ薬の副作用だったかな、母はひどい便秘になり
しばらく看護婦さんに施してもらう浣腸に頼る日々。
術後1週間ちょっとで自力で便器にてできたときは嬉しくて。
こらえきれずに遠方で単身赴任している父に電話しました。
「お父さん出たよ!」
それでも夜中は、車椅子に乗って移動するのは危ないので
尿瓶(シビン)でとってあげる生活が1ヶ月ちょっと続きました。
男と違って女性のシビンは難しいそうです。
看護婦さんもうまくない。
はじめはうまくいかず引っ掛けられ、朝病院のコインランドリーが
開くと同時に洗濯機まわしていました。
コツは瓶にうまくオシッコを誘導すること。
今は失敗しません、ノーベル賞ものです。
夜中に瓶でとったものは看護婦さんに始末をお願いしていました。
ナースコールして、誰かしらが来るのですが、なぜか私がオシッコを
渡すと「ありがとうございます」と言う人がいたので、その看護婦は
スカトロさんと名づけられました。
院内事故 [入院]
レントゲン、CT、では「疑い」の段階にあった肺がんが気管支鏡の検査で
ステージⅣと判明しました。このステージではすでに肺から遠隔転移といって
骨や脳へ転移しています。
母の腰痛は腰骨へ転移した腫瘍が骨を溶かしていたことが原因でした。
入院直後絶対安静、と言われたのは、骨がもろくなっているから気をつけなさい、
ということだったのです。母はそれまで痛いのを我慢する生活をしていたので
あのある朝も。。。
自分の力で起立して車いすに乗ろうとしてしまったのです。
あれほど自分で歩いては行けない、と言われていたのに。
その瞬間、強い母が「痛い!!!!!!!!!!!!!!!!」の一言を発して、
直後に鼻がスースーと音を立てて。。。
失神してしまいました。
目を見開いて、看護婦があわててライトを目に当てるのですがまったく反応なし。
これって瞳孔が開いてる、というのでしょうか。
こうならないように看護婦をトイレに行くたびにナースコールして、一緒に母を
車いすに乗せて、というように注意していたのに、一瞬で母の腰骨は壊れました。
この朝は本当に忘れられません。運悪く土曜の朝の出来事でしたので手術を申し込むも
翌週の木曜になってしまい、その長い期間意識のある間は絶え間なく痛がっているのです。
それからの食事はもちろん、排泄もベッドの上です。
ステージⅣと判明しました。このステージではすでに肺から遠隔転移といって
骨や脳へ転移しています。
母の腰痛は腰骨へ転移した腫瘍が骨を溶かしていたことが原因でした。
入院直後絶対安静、と言われたのは、骨がもろくなっているから気をつけなさい、
ということだったのです。母はそれまで痛いのを我慢する生活をしていたので
あのある朝も。。。
自分の力で起立して車いすに乗ろうとしてしまったのです。
あれほど自分で歩いては行けない、と言われていたのに。
その瞬間、強い母が「痛い!!!!!!!!!!!!!!!!」の一言を発して、
直後に鼻がスースーと音を立てて。。。
失神してしまいました。
目を見開いて、看護婦があわててライトを目に当てるのですがまったく反応なし。
これって瞳孔が開いてる、というのでしょうか。
こうならないように看護婦をトイレに行くたびにナースコールして、一緒に母を
車いすに乗せて、というように注意していたのに、一瞬で母の腰骨は壊れました。
この朝は本当に忘れられません。運悪く土曜の朝の出来事でしたので手術を申し込むも
翌週の木曜になってしまい、その長い期間意識のある間は絶え間なく痛がっているのです。
それからの食事はもちろん、排泄もベッドの上です。
2011.11.9 気管支鏡検査 [入院]
入院というのはいろいろ同意のサインが要るのですね。
気管支鏡の検査もそうでした。
とにかく苦しい検査で、検査した日とその翌日は血痰が出るとのこと。
予告通り、検査後の母は顔色が真っ青で、しきりに寒いと。
一日何も食べていないから腹ペコのはずなのに食欲もなく吐き気を訴える。
これに父と私はとてもショックを受けました。
前日まではいまいちイメージ出来なかった今後の厳しさを痛感したのでした。
気管支鏡の検査もそうでした。
とにかく苦しい検査で、検査した日とその翌日は血痰が出るとのこと。
予告通り、検査後の母は顔色が真っ青で、しきりに寒いと。
一日何も食べていないから腹ペコのはずなのに食欲もなく吐き気を訴える。
これに父と私はとてもショックを受けました。
前日まではいまいちイメージ出来なかった今後の厳しさを痛感したのでした。
2011.11.8 入院当日のこと [入院]
母はもともと腰が痛くて整形外科にかかっていました。
この長く厳しい夏はとくに仕事が忙しく毎日腰痛を我慢して通っていたのですが
その腰痛がどうも今までとは違っていたようです。それでも毎日の通勤経路
には無い病院へ行くのが億劫だったのか、病気は放置されました。
入院した日はもともと整形外科へかかり、湿布をもらって帰るところでした。
ただ、母があまりに痛がるので念のため、と採血した結果、腫瘍マーカーが
高く、全身レントゲンを撮ってみたところ肺の腫瘍が見つかりました。
急遽入院、絶対安静、一人で歩いては行けない!
なんて言われ、母は「んなー、大げさな」と思ったに違いありません。
次の日に気管支鏡の検査を受けるまで、足元がふらついていること以外、
それまでと変わらなかったのです。でも、今思えば歩けないくらい痛いって
言うのはそれだけで十分深刻な状況なのでした。
この長く厳しい夏はとくに仕事が忙しく毎日腰痛を我慢して通っていたのですが
その腰痛がどうも今までとは違っていたようです。それでも毎日の通勤経路
には無い病院へ行くのが億劫だったのか、病気は放置されました。
入院した日はもともと整形外科へかかり、湿布をもらって帰るところでした。
ただ、母があまりに痛がるので念のため、と採血した結果、腫瘍マーカーが
高く、全身レントゲンを撮ってみたところ肺の腫瘍が見つかりました。
急遽入院、絶対安静、一人で歩いては行けない!
なんて言われ、母は「んなー、大げさな」と思ったに違いありません。
次の日に気管支鏡の検査を受けるまで、足元がふらついていること以外、
それまでと変わらなかったのです。でも、今思えば歩けないくらい痛いって
言うのはそれだけで十分深刻な状況なのでした。